死にたいと言われたら

かってこんな相談を職員さんから受けた。
入所してやっと心を開いてくれた利用者の方から、
「死にたい」
と言われた。
その場にいたその職員さんは、
ただ一緒に泣くしかなかったと言う。
こんなときはどうしたら良いのですかと尋ねられ、
僕はそれで良いよと答えた。
今でもそれで良いと思っている。
僕の尊敬する阿部白道先生のFacebookにこんな記事が載っていた。

【精神科医 樺沢紫苑 精神医学の話】
介助困難な認知症者の態度が変わる瞬間

先日のNHK特集『”認知症800万人”時代”助けて”と言えない孤立する認知症高齢者』では、介護や介助に抵抗する認知症患者さんの問題が取り上げられていました。これを見て、15年ほど前の自分を思い出しました。
私が、北海道のある田舎の病院に医長として勤務医していた頃の話です。その病院では、入院患者さんの4~5割が老人で認知症の患者さんでした。
内科に入院していて治療や介助に抵抗するので精神科に転科した方。老人病院入院中、あるいは老健施設などに入所中の方で、徘徊や介助の抵抗が激しいということで入院した方。あるいは、家で生活されている方で、徘徊や暴力、暴言が激しく家族が介助不能になって入院した方などです。
まさに、NHKのドキュメンタリーに登場していた「介護、介助に抵抗するお年寄り」と同じような方と、私は毎日接して、格闘していました。それで、最初の頃は非常に苦労しました。しかし、試行錯誤の結果、しかるべき対応をすればどんなに認知症が重度でも必ずコミュニケーションがとれて、介助への抵抗や徘徊は改善され、ほとんどの患者さんは、入院時よりも明らかによくなって、家族などが介助しやすい状態になって退院できることがわかりました。
認知症の方とコミュニケーションをとるコツというのがあるのです。その最も重要な一つは、「言語でコミュニケーションしない」ということです。人間のコミュニケーションは、言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションがあります。認知症の老人は、言語的理解力、言語的伝達力が著明に低下するものの、非言語的コミュニケーション能力は、かなり保たれているのです。ここが重要です。認知症の方は、言葉では全く伝わらないのに、コチラの表情や態度を細かく観察していて、心の中をもの凄い精度で読み取ることができます。
ですから、「認知症患者さん」として、あるいは「子供のように」して対応すると、本人のプライドが傷つき、強烈な抵抗、反抗を受けることになります。そうした患者さんに、「言葉で説得する」と、状況が著しく悪化します。認知症患者さんの言語的能力は、小学生低学年から、幼稚園児程度に低下していると考えるべきです。
ですから、治療者や看護職員、家族が、論理的に説得するほど、本人は内容が理解できないので、馬鹿にされているように感じます。そして、猛烈に抵抗します。残念ながら、NHK特集で登場していた職員は、そのやってはいけない「論理的説得」をやっていました。
言葉で説得できない。
では、どうするのか?非言語的に伝えるしかありません。表情、言葉の語り口、視線、アイコンタクト、ボディコンタクト。こうした非言語的コミュニケーション手段を駆使して、関係を深めていきます。
私がよくやっていたのは握手です。「おはようございます」といって手を握る。診察の最後にも、握手で締めくくる。身体の診察をしたりして、ボディコンタクトを増やす。老人と同じ目の高さになるようにしゃがんで話をする。耳も遠いし、目も悪いので、普通の患者さんよりも、かなり近い距離で、やさしい語り口で話をします。こういった「非言語的コミュニケーション」は、予想以上に効果があります。
そして、何より重要なのが、お年寄りに対して「経験豊かな人生の先輩」として敬意を持って接することです。介助や治療に抵抗するお年寄りは、ほとんどの場合「プライドが傷つけられた」と感じています。ですから、「患者さんとして」、あるいは、お年寄りを「○○ちゃん」と呼んだり「子供のように」接してはいけないのです。
「老人に対する敬意」を持って接する。それがご本人に伝わると、あれだけ険しかった表情がやわらぎ、治療や介護への抵抗が嘘のようになくなっていくのです。
現在、介護で苦労されている方はたくさんいると思いますが、お年寄りに対して「経験豊かな人生の先輩」として敬意を持って接する。それだけで、本当に「介助への抵抗が激しい老人」が、「ほがらかな老人」へと変化するので、試していただきたいと思います。

    • 加藤美智代
    • 2019年 6月30日 10:15pm

    死にたいと言うからうつ病というのはどうかと思います。痛み、動かないからだ、でも何か正解の答えを教えてくれる人がいるかもと思いいろんな人に死にたいと言ってみる。その中で長時間傾聴、共感する人を探している。いつ死ぬのかの不安が死にたいに変わる。自分の思いどうりに死ぬなんてできないのもわかっている。考えることがそれしかないから、子供、孫、親戚の事どうでもいい。自殺すると迷惑かけるしどうしょうと思い詰める。変わらない暇な毎日を埋められることはできない。だから私は苦行は生きていることと伝えている。死ぬまでに心から感謝出来るようになれば迎えが来てくれるかもと話をしています。死ぬ人への助言の正解はありませんが。楽な死を迎える人はごく稀なんですから。

    • 加藤美智代
    • 2019年 6月30日 10:08pm

    死にたいと言うからうつ病というのはどうかと思います。痛み、動かないからだ、でも何か正解の答えを教えてくれる人がいるかもと思いいろんな人に死にたいと言ってみるその中で長時間傾聴、共感する人を探している。いつ死ぬのかの不安が死にたいに変わる。自分の思い道理に死ぬなんてできないのもわかっている。考えることがそれしかないから、子供、孫、親戚の事どうでもいい。自殺すると迷惑かけるしどうしょうと思い詰める。変わらない暇な毎日を埋められることはできない。だから私は苦行は生きていることと伝えている。死ぬまでに心から感謝出来るようになれば迎えが来てくれるかもと話をしています。死ぬ人への助言の正解はありませんが。

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