追悼:柴崎施設長


僕にとって弟ともいえる大切な人が亡くなった。
まだ亡くなって間もないこともあるが、
何かに付けてはついつい思い出し、
涙が止まらなくなることもしばしばある。
葬儀で弔辞を申し上げた。
彼のことを忘れたくない気持ちもあり、
また彼の地域福祉に対する熱い想いを伝えたくて、
弔辞を掲載することにした。

弔辞
柴崎さん、来ては欲しくはなかったのですが、とうとうあなたとの別れが参りました。
身を真っ二つに引き裂かれる想いとはこういうことを言うのかもしれません。
柴崎さんとの出会いは、十数年前、私が高齢者福祉事業を始めた頃からです。
柴崎さんはすでに山口県老人福祉施設協議会の理事として活躍されていました。
また高齢者のみに留まらず、山口県車いすバスケット連盟や身体障害者陸上競技連盟など障害者の分野でも活躍されていました。
柴崎さんは積水ハウスに勤められたのち、縁あって阿東老人ホームに相談員として福祉の世界に入られました。
25才の若さでした。
まさに福祉業界では、たたき上げで、そのネットワークの広さには、何度も驚かされたものです。
そして平成16年、阿東老人ホームの施設長に就任、
平成23年には山口県老人福祉施設協議会の副会長として活躍。
これからの山口県を担う若きリーダーとして大いに期待されていました。
柴崎さんは、まっすぐで曲がったことが大嫌い、几帳面で実践の人でした。
私はと言うと、大雑把でいい加減で大ボラ吹きでした。
性格が真反対のような二人でしたが、なぜか不思議と気が合いました。
会議や研修会のあとは必ずと言っていいほど、二人でつるんで飲みに行きました。
そしてそれぞれの夢を語り合いました。
あなたは地域福祉の夢を熱く語り、私はこれからの事業の夢を熱く語り合いました。
あなたは地域に深く深く、私は社会に広く広く、方法論は違っても共に福祉に掛ける情熱は一緒でした。
そんな二人でしたので、兄貴、おまえと呼び合う間柄になるまでさして時間はかかりませんでした。
最初にあなたが体の異変を感じて病院に入院したとき、
手術も成功し悪性ではなかったとの報告に退院後、
もうこれで大丈夫、大丈夫と歓喜の声を上げながら祝杯を上げたのがつい昨日のことのような気がします。
ところが・・・・安堵したのもつかの間、再度体の異変をあなたは感じ、検査をすると今度は扁平表皮癌の診断。
目の前が真っ暗になりました。
それでもあなたは持ち前のガッツで重粒子線治療はじめ、数々の苦しい治療を耐えて行きました。
私たちも奇跡を信じ、あなたの復帰を待っていました。
しかしその願いはむなしく、さる6月26日あなたは帰らぬ人となりました。

本当につらい、悲しい、まだ54歳じゃないか・・・あなたの死を信じられぬ私は声を上げて泣きました。
あなたの死によって山口の福祉が十年遅れると言っても過言ではありません。

入院中、あなたは一度だけ弱音を吐きました。
「兄貴、おれ悪いこと何かしたかな。なんでこうなったんじゃろう」
その時私は
「ばか言うな、もしそれが本当なら、俺なんかとうの昔に死んどるわ」
「そりゃそうだ」
二人で泣き笑いしました。
しかしいくら泣いても、残念ながらもう柴崎基は帰ってきません。私たちが今できることは、
かれの地域福祉に掛ける熱い想いを知る者の一人として、彼の意思を、思いを彼の代わりに実践していくことだと思います。
柴崎さん、見ていてください。残された私たちは頑張ります。
今まで、本当にありがとう。
安らかに眠ってください。

平成26年6月28日
        
  社会福祉法人 ひとつの会 理事長
             そして柴崎基の兄貴
                   内田芳明
合掌

    • 徳光幸子
    • 2014年 8月13日 11:48am

    もっちゃんがこんなにも大きな人であったことに驚き、改めて哀しく涙がとまりません。弔辞の中にあった何かにつけては、もっちゃんの顔が声がハッキリと今も鮮明に、先日あなたの死を知りました。まだ信じたくなくてお線香をあげに行けません。もっちゃん、お兄ちゃん、また会いましょうね。

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