名門 兄部家


先般、防府市の名家、兄部家の邸宅が焼失したというニュースを聞き行ってみた。
風格のある堂々とした本陣兄部邸はシートに覆われ、心が痛んだ。
お風呂の残り火が火事の原因らしいがご当主、兄部次郎さんも火に巻き込まれ帰らぬ人となった。
心からご冥福をお祈りしたい。
国の重要文化財に指定されていたというが、
それならオール電化にして火災から邸を守るなどもう少し行政がいい意味で関与し、
貴重な文化財を守るための指導と援助を行うべきではないかと思う。
鎌倉時代から続く名邸の焼失は国家的損失だと思う。
ところで兄部家といえば兄部勇次さんを僕は思い出す。
戦艦長門の艦長としてまさに不沈軍艦長門の伝説を作った人である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%96%80_(%E6%88%A6%E8%89%A6)

当時すでに90歳近くなっておられたが、
背筋もまっすぐで大柄な体とにこやかな笑顔が印象的であった。
奥さまは東条英機の姪御さんでとても上品な方であった。
僕の祖父も海軍の巡洋艦の艦長だったこともあり、
僕の訪問を許してくださっていた。
それどころは奥さまは帰り際に
僕のような一介の学生にもずっと頭を深々と下げ、
見えなくなるまで見送ってくださった。
僕は兄部勇次さんとのお話が大好きで、ずうずうしくも何度かお宅をお尋ねした。
戦時中のレーザー光線銃の極秘開発や
戦中、戦後における沢山のエピソードはまさに歴史的生き証人であった。
遠慮せずもっとお尋ねしておけばと悔やまれる。

    • 理事長
    • 2013年 1月7日 5:15pm

    中西さま、コメント投稿ありがとうございます。
    兄部勇次氏と出会いはわずかの間でしたが僕にとって素晴らしい思い出です。
    次回また氏にお会いしたときのエピソードを載せますのでご期待下さい。

    • 中西 成一郎
    • 2013年 1月7日 12:05am

    今、とあるきっかけで兄部勇次と言う名前を思い出しました。
    「とあるきっかけ」と言うのも、実はテレビの映画を見ていて と、言う事なのですが。

    私が兄部勇次と言う名前を知ったのは、阿川弘之の「軍艦長門の生涯」という本からでした。
    この本は歴代の長門艦長を中心に枝葉分かれつつ、長門が終戦後に海に沈んで行くまでをテーマにした本でした。
    阿川弘之と言う作家は、非常にその筆致や情景描写に巧みな作家で、ご自身も戦時中海軍に籍を置いていた方で、
    読み手に息をつかせる事を惜しませるような、とても興味深い本を書く人です。
    初代艦長の飯田延太郎の章からとても面白く、しばらくはこの本が私の生活の中心にある日々が続きました。

    その中で、終わりに近い章で兄部勇次艦長が現れました。
    もう終戦と言う言葉が手近に見える頃になって長門の艦長になった兄部勇次さんは、四面楚歌に追い込まれた敵の海域で、長門を縦横無尽に操艦して軒並み魚雷を回避しながら長門を生き長らえさせたと、その本には書いてありました。
    私はもちろん、正に血湧き肉踊る思いでその章を読みふけりました。

    並み居るエリートの中で、旗艦の艦長であると言う立場に立った人達の中で、兄部勇次という名前が一番心に残っておりました。
    パソコンといった文明の利器が手元にあり、久しぶりに脳裏に蘇った兄部勇次と言う名前を色々見出し、改めて心躍る思いがしました。

    兄部勇次さんと直接お話をされる機会を持つことが出来たあなた様に、心から羨望の念を思います。
    今後も、お手隙の時、兄部勇次さんの逸話を市井に教えて下さい。

    夜分遅くに、大変失礼いたしました。

    中西 拝

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