巨星墜つ


去る11月20日、僕の大好きだった山口県社会福祉法人経営者協議会並びに山口県老人福祉施設協議会顧問で社会福祉法人アスワン山荘の理事長、麻生孝行氏の葬儀があった。僕にとって何でも話せる数少ない人であった。
思い出が多すぎて葬儀の前日、僕は声を出して泣いた。
本当に素敵な人であった。
麻生さんのことを少しでも多くの人に知ってほしくて、氏の葬儀の時の僕の弔辞を記載する。

弔 辞 
先月末にもいつものように電話した時に、病院ではとても言えないような面白い話がいっぱいあるから、早く退院してくださいとお話ししたのが、麻生さんとの最後の会話でした。
 麻生さんは山口県社会福祉法人経営者協議会の会長職を十八年、山口県老人福祉施設協議会の会長職を十一年と二つの協会の重責を務めてこられました。まさに山口県の福祉業界全体を牽引され続けられました。
 そんな麻生さんの功績が認められ、平成二十七年十一月に栄えある瑞宝双光章の叙勲の栄誉を受けられ、各界から百十一名が出席される大きな祝賀会がもよおされることになりました。その時のことです。祝賀会の企画を立案していた私達に、「うちの奥さんはあれでなかなか面白い話をするからスピーチをさせてくれんかね。」と言われました。ちなみに私なら絶対に申しません。
 ところが、麻生さんの奥様、起世美様のお話は実に素晴らしかった。捧腹絶倒、まさに人間、麻生孝行を赤裸々に語りながら、言葉の端々に麻生さんへの愛に満ち溢れていました。経営協並びに老施協始まって以来、これに勝るスピーチはないと私は思っています。
 そして麻生さんが叙勲を受けられた同じ平成二十七年は介護報酬改定の年でもありました。しかも全国老施協の組織内議員であった中村博彦参議院議員を二年前に病で失い、組織内議員を全く擁しない全国老施協は、言うなれば武器を持たない丸裸の兵士でした。その頃マスコミは大幅なマイナス改定となるだろうと報じていました。
 それを阻止したい当時全国老施協会長であった石川顧問は、何とか安倍晋三総理に直接お会いし、現場の苦しい状況をお伝えしたいと八方手を尽くされていました。しかし、一国の首相が全国組織の大きな協会とはいえ、単独の団体と直接に面談することはできないという厳しい状況でした。
そんなとき、最後の最後に石川顧問が頼られたのが、当時の山口県老施協会長、麻生孝行その人だったのです。依頼を受けた麻生さんは早速、安倍総理の最大の選挙地盤であった下関の会員さん達にお願いし、なんとか総理と直接お会いすることができたそうです。
今でも石川顧問は「麻生さんにはとても感謝している。この話は是非とも皆さんに伝えて頂きたい。」と先日、私に託されました。
巨星墜つ。安倍元総理は今年七月に凶弾に倒れられ、本日は麻生さんを送ることになりました。山口県は大きな柱を二つ失いました。
言うまでもなく今、日本を取り巻く状況は厳しく、とりわけ社会保障費を抑制する方向にある国の政策を考えると、福祉業界は益々苦しい状況に追い込まれるでしょう。このような時に麻生さん、あなたを失うことは本当に不安です。つらいです。きついです。
しかしながら麻生さん、あなたが不毛の荒野に必死で敷かれたレールの上に、信頼という列車が走りだしました。今、厚労省に陳情に行くときには、県庁の健康福祉部の部長以下多くの県の方々が同行し、支援をして頂いております。私たち山口県社会福祉法人経営協も老施協も政界、行政、学校、地域とも強く信頼関係を築き、あなたが望まれたように山口県の福祉を、そして地域社会を守っております。今後も不退転の決意をもって社会のために、人のために私たち二つの協会は戦い続けることをここにお誓いし、私の弔辞と致します。

令和四年十一月二十日
   山口県社会福祉法人経営者協議会会長
   山口県老人福祉施設協議会会長    内 田 芳 明
   社会福祉法人ひとつの会理事長

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