102才の里帰り

先日頂いたうちの職員さんのメールの内容があまりにも素敵だったので、本人の了解を得てみなさんにも公開します。

ツꀀ
こんにちは。

先日は、Tさんの里帰りをさせて頂き、本当に楽しい至福の時間でした。ありがとうございます。

介護の仕事をしている中での、最高の果実でした。

おそらくTさんがこの先、ご実家に帰られることはないでしょう。

里帰りに同行させて頂く機会を頂いて、本当に幸せです。

娘さんの話によると、前の施設におられたときもずっと「藤木に帰りたい」とおっしゃっていたそうです。

私があいおい苑でお世話になってもう5年くらいですが、夜勤をしているときも、今のような入浴介助だけのときも、Tさんは何度も「藤木に帰りたい」と仰っていました。

その度に、「今夜はもうバスが終わったから明日にしよう」とか「私は車の運転ができんから」と答えるしかありませんでした。

その度にTさんはガッカリした表情を浮かべていました。

I want to go back to my home .

英語で言った方が実にリアルです。

私は私の家に帰りたい。

一人の人間が行きたいところに行きたいと言う。

「帰宅願望が強い」と表現するとネガティブな感じになりますが、ただ家に帰りたいだけです。

こんなにシンプルで分かりやすい主張が実現できない現状。

今回は、それが叶って本当にうれしかったです。

Tさんは、一応認知症ということになっているのだと思いますが、ご実家に帰られたときには、102年目の里帰りをした一人の女性でした。

「おぉ~家を奥に建てちょらぁ~」

昔のご自分の家ではなく、もう甥御さんたちが新しく家を建て直し、昔の建て位置ではなく、山手に寄せておられることもきちんと理解しておられました。

認知症とはいったい何を基準に何を指して言っているのでしょうか?

人間の主張を聞き届けられない介護者の耳、もしくは聞こえていても脳や心にまで到達しない介護者の精神の病気のことを認知症というのかもしれません。

家の裏の湧き水を見られて、「この水は冷たいから、夏、暑ぅても世話ぁない。風呂もこの水を汲んで使う」と言われました。

ここでTさんは生まれて、育って、暮らしていた。

だからそこの記憶はちゃんと残っていて、言葉が水のように溢れてきたんだと分かりました。

娘さんが葡萄をその水で洗ってくださり、一緒に食べました。

きっとTさんはこの水を産湯に使ってこの世に生まれたんだろうなぁと思うとなんだかうれしくなり、葡萄がとてもおいしく思えました。

その冷たい湧き水を手ですくって、頬と鼻に付けると、「冷たい」と言ってしかめっ面をされました。

102年前に浸った水と、今の冷たい水。

時間と空間が輪のように繋がっていました。

葡萄を食べて、「こりゃ種がないのぉ」と、

いつもよりも饒舌です。

食べ終わった葡萄の皮を敷地下の田んぼへ投げ捨て、「下のもんのデコちんにびたーっとつくでよ」と大笑い。

娘さんも、私もみんなで笑いました。

葡萄を食べ終わると、

「さ、おりよう」とTさんが言われました。

もうご自分の住む家ではないことも重々知っておられ、気が済んだということでしょうか。

「さ、おりよう」

Tさんにとって、藤木の家は山の上の懐かしい暮らしの記憶で一杯のようでした。

苑に帰る道すがらも、亡くなった息子さんのことを母娘で話しておられ、日頃思い出さないことも思い出しておられたようでした。

苑に戻ったあと、娘さんから「施設でもこんなことまでしてくれるんですか。本当にありがとうございます」とのお言葉を頂き、深々と頭を下げてくださいました。

本当にもったいないことです。

なぜなら本当に楽しまさせて頂いたのはこちらの方で、ご家族の協力なしには今回の里帰りはうまくいかなかったからです。

あの日から2日目の今日は、入浴介助でした。

浴槽に入っているTさんに「藤木はええところですね」と声を掛けると、

前を見つめたまんま 

「ええところ」 と。

「この前、藤木に帰りましたね?」と声を掛けると、

「知らん」とのことでした。

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