叔母のこと

先日、叔母がなくなりました。
祖母の妹ですから正確には大叔母ですが、
特に近しい間柄でしたので叔母さんとずっと言っていました。
家も近かったせいもあって、
我が家は子供のころから祖母の親戚筋と特に親しくしていました。
アルツハイマー型認知症でしたが、
昔の話は僕以上に記憶が正確で、
日常、会話する分については何の不自由も感じませんでした。
笑生苑と云ううちのグループホームにいてくれました。
僕はおばあちゃん子ですから、亡くなった祖母にそっくりで本当にきれいな叔母が大好きでした。
笑生苑にいくといつも手を挙げて、
「あんたぁ、いつきたかね」と毎回うれしそうに、
そして少し僕を誇らしげにみてくれる叔母のまなざしにいつも助けられました。
僕にとって甘えることができる数少ない人でした。
でももう、いなくなりました。
本当に寂しいです。
最初の異変は叔母が熱を出したことでした。
風邪かなと思って職員さんがかかりつけ医の相川医院へ連れて行きました。
親友の相川院長がいるところです。
異変を感じた院長が念のためにと胸部のレントゲンを撮ってくれました。
そしたら真っ白で、心臓まで水がたまっていたそうです。
緊急入院との判断が下され市内の病院に入院しました。
叔母を訪ねると相当苦しいはずですが、
叔母はいつも通り歩き回っていました。
病院の食事を食べながら
「ここの食事はまずい。早く帰りたい」
と文句ばっかり言っていました。
元気ないつもの叔母でした。
付き添っている従姉(正確には又従姉ですが)も、
こんなに元気なら一回帰ってこようかというくらい元気でした。
ただ時折、発作が出て苦しんでいたこともあったそうですが、
アルツハイマーに助けられてすぐに忘れるそうです。
「何にも思い残すことはない。いつ死んでもいい。病院で長患いだけはしたくない。」
何度も何度も叔母はそう言っていました。
その日も穏やかで携帯電話で従兄妹達と話したそうです。
そしてその日の夜、看護師さんが見回りをしたときに、
すでに息を引き取っていたそうです。
今思えば叔母は自分で死期を感じ取っていたようでした。
認知症と戦うことも必要かもしれません。
しかし認知症と共に生きることも大切なのかもしれません。

(白骨までも愛おしき かの人の骨を 大切に拾う)

叔母は最後に大切なことを教えてくれました。

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